そのことが〇〇であるかどうかで決めます。その②

先回の続きです。

佐藤はそれなりに重要な選択をしなければいけない時はどちらの選択が自分自身にとって卑怯でないか、後ろめたい思いにならないか(自分はもちろん家族や他人に誇れるか)ほぼその一点で決めます。

損得は加味されません。卑怯か卑怯じゃないか。後ろめたいかそうでないか。ただそれだけです。

これは30歳くらいからかなり拘ってまして、まぁ多分それで騙されたり損したりした事もあったとは思いますが(覚えていない)、その事は佐藤という人の根幹でありプライドでもあります。

先回お話しした「楽な選択/苦しい選択」というのはある程度人生経験積んだ年齢の佐藤としてはよくわかるんですが何となく抽象的で、人に話すにはわかるような?わからんような?感じになりますからねー。

何にせよそれなりに大きな選択をするにあたってはまず間違いなく自分自身の選択が卑怯か卑怯でないかで選びます。これなら人に話すにしても何となく伝わりますからね。

苦しい道とか楽な道だとかより自分自身がその選択に後ろめたさがなく誇れるかのほうが分かりやすいでしょ?

まぁそういう選択の大体はなんやかんや「険しく苦しい道」になるんですよ。残念ながら。

でもいいじゃないですか。自分自身に後ろめたさはありませんから。

佐藤は自分が正しく間違ったことはしない人だなんて大それたことは思いもしませんが少なくとも卑怯と言われるような選択はしませんし、正しくありたいと願ってはいます。

いろいろな選択の積み重ねが良くも悪くも人生を決定づける事はほぼ間違いないでしょう。

この考え方、生き方が良いか悪いかは分りません。ただ佐藤にとって良い。という事です。

その選択の積み重ねの答え合わせは死ぬ前位にわかるかもしれませんね(笑)

TOP